二十日会と言うのは、(1985昭和60年)広島市で老施協の大会があった際に、有志が「赤提灯」居酒屋に集まって懇談したところから始まったと記憶しています。島根県民間特養施設長会として名実共に備わるのにあまり時間がかからなかったのですが、全ては発足以来の鹿毛るんびにい苑長のご尽力の賜物です。

 当番制でお世話させていただいた研修会では、多くのことを勉強させてもらいました。楽しい思い出です。

 当時は特養施設長になったばかり(昭和58年長命園長就任)の私でしたが、老人福祉措置制度を、憲法第25条を柱とする国民の権利として定着させるには、措置現場で国民に支持される老人処遇が花開かねばならないと、寝る間も惜しい気持ちで働いていました。

 (特養に支給される施設運営費である)措置費は、全職員が百の力を出そうが、六割どころで手をぬこうが、同じ金額を支給されるもの、それなら全力投球で百以上の奉仕をしよう、これが制度の改善充実の繋がるという心意気、少なくともそのつもりでした。

 福祉措置制度が、国庫「負担」八割の(国が県知事・市長に事務を委託する)機関委任事務から、国庫「補助」五割の(国が県・市に事務を移管する)団体委任事務に変えられる制度改革が、老健施設制度新設と平行して実施されました。

 私は、これは憲法第25条の骨抜きに繋がるとして、多くの施設長と共に、老施協や二十日会で、大いに警鐘を鳴らし議論しました。

 (老施協内部にも)「福祉制度の地方移管」あるいは「在宅重視への転換」として是認する議論もありました。また(県市など)地方団体は、(国費の)支給率の減った分は地方交付税で措置されれば同じこと、と唱え(国の交付額がその分減少することに目をつぶり)国に追従してしまいしました。措置制度改革つまり措置事業関係者の敗北は、ここに始まったと(平成12年の)今は思っています。

 そして今度きたのは「介護保険」です。  老人福祉措置制度を廃止する「介護保険導入」には、特養の業界から雲の如くに、反対の声が湧き起こるかと思えば、さにあらずといった現状には、まったく驚いています。皆さん、これでいいのでしょうか。

 (介護保険法施行を前に二十日会は解散し、平成12年6月「島根県民間特養施設協議会15年誌」を発刊した。この小文は同誌5頁に掲載された)