• 発刊に当たって第1章「長命学園」春秋記
  • はじめに
  • 思えば夢か時の間に
  • 園長講話
  • 開園を準備しながら考える
  • 特養とは何をするところか
  • 「七人の師」
  • 「創設期」を終えるにあたって
  • にがい涙とたのしい思い出と
  • 悲報来
  • 「だった人」の施設です----「長命園の生活と理念」から
  • 「春が来た・はるがきた」

認可こばと保育園がオープンした1979・昭和54年の四月に、曉は三期目の松江市議当選を、前回よりもよい成績で果たすことができた。そして選挙後に曉は宿願の「湖南地区老人福祉施設建設事業計画案」を立案し、理事会に提出した。この計画は、こばと福祉会の特別養護老人ホーム(以下特養という)「長命園」と松江保健生協の「第二生協病院」を隣り合わせに建てようとするもので、用地については市営運動公園南側の大庭共有山林が有力候補と考えられた。

曉は引退した市議福島伝重の助言も得ながら、大庭山林組合関係者に渡りをつけ、松江保健生協松井秀枝組合長・松江生協病院長の出席を得て、同年中に山林組合役員と数度話し合いの席を持った。山林組合側から価格の提示があり、交渉はこれからというときに松江保健生協はこの事業から手を引くことになり、交渉経費はすべて生協もちで清算した。大庭西山林組合特別委員会福島康雄委員長の克明な計算で286,260円であった。

この候補地の西隣に未処分市有地約八百坪があった。これは松江市が市立湖南中学校用地に取得したもので、都市計画道路が用地を分断し、道路西側は湖南中と給食センター用地になったが、道路の東側に未供用の市有地が残っていた。松江市福祉事務所長中島貞義の示唆があり、特養だけならこの部分で充分ではなかろうか、と曉も考えた。中島は島根銀行の役員も紹介してくれたが、会ってみたら三刀屋高校先輩の影山宏だった。了解を受け市有地取得資金借入の道はついた。

この頃県庁の窓口老人福祉係長に三刀屋高校同期の木村貢が人事異動でやってきた。曉の計画を激励して、昭和五五年春全社協の「福祉施設長資格認定講習」を受講できるよう計らってくれた。曉は通信教育で社会保障論、社会福祉概論、など九科目、面接授業で施設長論、施設運営論など七科目を学び、翌五六年三月修了証を受領した。 昭和五五年十月末、松井秀枝社会福祉法人松江福祉公社理事長任期満了退任、かわって濱田泰則(松江生協病院内科医)が理事長に就任、黒谷明嗣(松江生協病院内科医)が理事就任。曉を加えて三理事が長命園建設委員会を構成した。

いろいろな経過があったが、松江市が全面的に後押ししてくれる形勢となり、県当局の最終判断が問われる段階には、曉は県庁に日参した。福祉事務所長は中島から三島俊に変わっていたが、三島所長は、県厚生部長室で膝詰め談判の機会をセットし、松江市議会元議長井戸内正も応援に乗り出すこととなった。四者会談では、県山崎部長が「では前向きに考えましょうかね」といったが、これで昭和57年度事業に採択されることが事実上決まったのだった。

1982・昭和57年1月17日、松江市福祉事務所三島所長から通報があり、曉は県庁で県社会福祉部尾川次長、水上社会課長と面会、水上課長から同課の老人福祉係と事務的な話しをつめるよう話があった。曉は直ちに老人福祉係大谷国夫主幹に面会、大谷氏から、「二月末に厚生省に協議書を提出せねばならぬので、事業計画書等を急いで作成するようにして欲しい。収容定員については80人とする。」と指示された。

さて、こばと保育園建設では、資金が予定通りに集まらぬことに加えて「設計変更」で工事金の追加が出て、辛い荷を負わざるを得なかった苦い体験から、長命園建設では工事期間中の設計変更は絶対にしない、そのために事前検討を充分にと心がけた。資金計画では寄付金への依存は最小限にし、寄付金は着工までに全額の納入をお願いした。

補助金及び利子補給融資の対象になる事業費からはずれる用地取得造成費約二千万円は、はじめ施設内診療所の保険診療報酬によることを予定し、県社会課の審査もパスし社会福祉事業振興会からの一億二千三百万円余の融資決定はしたものの、その後の補助金申請の段階で県の指導により寄付金等別財源によることと変更した。長命園の場合も矢張り用地費が重荷に残ることとなった。

以上の顛末は、県部長室でのやり取りを除いて、昭和五九年十一月刊「老年期発達保障試論」一四頁に書いた通りだ。

長命園が竣工してから、「長命園」と元市長で名誉市民の斉藤強氏に書いてもらい、この文字を表紙に使って昭和58年10月10日「特別養護老人ホーム長命園要覧」をつくった。これに「こばと福祉会の沿革及び長命園建設のあゆみ」と記事が載せてある。次に引いておく。

「一長命園建設運動「前史」として、加藤曉現園長が松江生協病院職員としてお世話をしていた老人サークル「保健の会」(持田光太郎会長)が、「特別養護老人ホームを松江市にも」と昭和45年に県市に働きかけ、世論に訴えて運動していたことをのべないわけにいきません。

二こばと福祉会の沿革はこばと保育園の「認可化」運動にさかのぼります。 無認可こばと保育園は、昭和41年7月、松江市幸町松江生協病院跡に新婦人松江支部によって設立されました。昭和52年4月6日こばと保育園認可(移転)促進大会が同園で開催され、施設提供者である生協側の意向も受け、八雲台の市有地の払下げを受けて移転することとなり、同年7月25日発起人会が開かれ代表者を加藤曉として実現を目指すことになりました。 昭和53年10月13日社会福祉法人の設立が認可され、こばと保育園建設工事が完了し設立されたのは昭和53年4月1日のことでした。この法人の名称は、はじめ「松江福祉公社」と予定していましたのは保育園に続いて特別養護老人ホームの建設構想が発起人会で語り合われていたからでした。

三特別養護老人ホーム「長命園」建設については昭和54年6月法人理事会いらい検討を重ね、事業計画書を作成し、県・市に協議したのは昭和55年5月になりました。法人としては用地についての話をつめつつ昭和56年4月に再度県に計画書を提出しました。この時以降三島俊松江市福祉事務所長(当時)、井戸内正前松江市議会議長が県に同行しともに陳情に当たりました。

四昭和57年2月に57年度事業として長命園を取り上げるとの県の方針が示され、直ちに用地を取得し、補助金・融資等の申請事務の段階となりました。昭和57年8月10日指名競争入札により、下記3社が施工業者となりました。(設計監理はこばと保育園を担当した北脇建築事務所に決定)松江土建株式会社(請負金額247,635千円)米田設備工業株式会社(請負金額94,800千円)山陰電工株式会社(請負金額44,000千円)

天候にも恵まれて工事は順調に経過し昭和58年3月11日建築基準法による竣工検査終わる。」

同要覧に記載された「長命園の概要」は次の通り。

  • 名称特別養護老人ホーム長命園(定員80人)
  • 所在地松江市上乃木町1278番地6電話(0852)27-3884
  • 敷地面積 2412㎡(取得費約2500万円は銀行借入金によって調達)
  • 建物の面積建築面積1113,57㎡延2385㎡(登記面積2400.93㎡)
  • 事業費(以下単位円) 建築工事費 351,200,000
  • 暖房設備工事費 26,235,000
  • 浄化槽設備工事費 8,000,000
  • 昇降機設備工事費9,000,000
  • その他工事費2,000,000
  • 初度調弁14,720,000
  • 開設事務費3,205,000
  • 合計 414,360,000

 

資金内訳

  • 国・県補助金257,538,000
  • 市補助金 17,000,000
  • 社会福祉事業振興会借入金123,800,000
  • 湖南福祉後援会寄付金13,422,000
  • 自己資金2,600,000
  • 合計414,360,000

長命園要覧は、全入園者と全職員の写真などを使って、昭和61年7月に第2版をつくった。 上記の「建設の歩み」と施設概要は、初版のまま印刷した。

新設する特別養護老人ホームの基本理念は「発達保障」とし、職名「寮母」は、ナースと改める、園での老人処遇は「完全離床」を入り口に展開するなどは、開設許可申請の準備のなかですでに曉が決意していたところだった。

「老年期発達保障試論」

長命園は処遇実践レポート1「老年期発達保障試論」を、昭和59年11月30日発刊した。

「発刊にあたって」なる一文と、その第一章「長命学園」春秋記を次に紹介する。いずれも曉の文章である。

発刊にあたって

基本理念に「発達保障」を掲げ、寮母をナースにあらため、お年より本位の園運営をこころざして長命園を開園して一年と四分の一が過ぎ去りました。 「八十歳にもなって発達保障ですか」とか、「お宅にはこんなに多くの看護婦さんがおられるのですか」などと質問を受けたものです。

今では「収容の場から生活の場となった老人ホームにおける生存保障から発達保障への前進」などといった発言を耳にできるようになりました。「寮母」という言い方についても、これでよしとする意見は少数派になり、男性進出の機運もあって「もっとより職名はないだろうか」と模索されており、ナースという当園での職名にも関心がむけられています。

一年たって、どんな仕事が出来たのか考えてみますと、すべてこれからというところですが、苦闘の記録をみんなで書いてみようと手記を集めたのがこの小冊子です。

「夜間入浴」「全員離床」「全員会食」「全員リハビリ」「全員朝礼」それに朝の日課で「居室での陰部清拭」を廃しての「トイレ誘導・トイレ清拭」などの長命園の特色ある生活は、特養勤務経験者にとっては、思いもよらぬことばかりで「出来るはずがない」と私に忠告してくれる人もあったほどです。

しかしお年寄りとともに暮らしながら毎日の充実を求めて検討していけば、やはりこうなるしかなかった。これが最善だったといえることばかりでもあります。さらに知恵を集め、工夫改善をして発達保障理念の実現につとめたいと思いこの小冊子を題して「老年期発達保障試論」といたしました。拙いレポート集に大げさな表題をつけましたが、「発達保障」を掲げた一年余りの歩みの中で生まれた試論というつもりです。どうかご批判をたまわりますように。

一九八四・八・三一
長命園長加藤曉